SAOに批判が多い気がするので、あえて原作未読の私が感じる良さを書かせてください!

※この記事は少し前に書かれたものですが、批判を受けかなりリライトしたため、オブラートな物言いになっています。

 

あと、私は原作を読んでいないため、もし間違っていたら「なんか言っとるわこいつ…」ぐらいで流してもらえると助かります(・∀・)

 

アニメ「ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld」がいよいよ放送開始ですね!

 

新鮮さのためにあえて原作は読まなかったので、どのようなストーリー展開を見せてくれるのか楽しみです。

 

そんな、「ソードアート・オンライン」シリーズですが、知恵袋や2chで、「面白くない」とか「クソアニメだ」という批判を見かけます。

 

ですが、「SAO」は個人的にはかなり良いアニメだと思います。

 

今回は、「ソードアート・オンライン」の批判を受けつつ、その良さについて書いていきたいと思います。

 

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【この記事の目次】

 

 

キリトが俺TUEEEEEEしすぎ

よく見かける批判の1つです。

 

確かに、キリトは「ソードアート・オンライン」のVRゲームの中の世界では、類い希なる身体能力を持っています。

 

ですが、それは気にするほどのことではないでしょう。

 

なぜかと言いますと、キリトを初めとした「SAOプレイヤー」たちは、そもそもオンラインゲームに捕らわれた「弱者」なわけで、本質的に同じ立場です

 

しかも、キリトがSAO内で無双していたのは、2話と9話のボス戦ぐらいですよね。(シリカのエピソードの自動回復の時も?)

 

 

逆に言えば、それ以降の「フェアリィ・ダンス編」、「GGO編」、「マザロザ編」などではデスゲーム設定が無くなったせいで、キリトの無双感は否めません…

命のやり取りという面はしっかり描かれていますがね!デスガンとかユウキのエピソードとか!

 

なので、「ALO」以降のキリトへの批判は私も理解できる立場です。(アリシゼーション編はWoU以降でどう化けるのか分からないので保留)

 

 

設定を活かし切れていない

これは、1話、2話で散々デスゲーム感を出して、視聴者に「こうやって犠牲を出しながらも仲間と助け合って一歩ずつ攻略していくんだろうな」と思わせてしまったことからくるものかな?

 

途中から恋愛要素が入ってきたことで、グダリを見せていたという批判の意図するところは分かります。

 

アスナがキリトに好意を寄せる過程なども、アニメ版では省略されていて、まぁ少し分かりにくいかな~という印象も無くはないですね。

 

しかし、皆さんがSAOを視聴し始めたときの予想である、「地道に百層まで攻略してゲームクリア」の展開だったらどうだったでしょう?しかも恋愛要素もなしですよ?

 

 

それこそただの俺TUEEEEEEアニメになっちゃうじゃないですか!

 

 

アスナとの恋愛要素、そしてヒースクリフが真の敵であったという設定は、この作品に厚みを与えています。

 

まず、アスナとキリトの恋愛に関してですが、お互いに守りたいと思い合っている関係だからこそ、余計に視聴者である私たちにも、彼らの生き抜く覚悟のようなものを感じさせてくれます。

 

この要素のお陰で、死の恐怖という一番大事な要素が盛り上がりを見せていたのです。

 

さらに茅場晶彦=ヒースクリフという設定も、この作品を神作たらしめています。

 

初めから誰が敵か分かっている作品なんて誰が見るんですか?そんなものは使い古された二番煎じでしかありませんし、子供向けです。

 

ゲームの創造主でしかなかった茅場晶彦が、プレイヤー:ヒースクリフとしてSAO世界に紛れ込んでいたというのは、これだけでどんでん返しの要素を持ちますし、十分にインパクトとキレのある設定です。

 

しかも、ヒースクリフがキリトにあっさりとやられるのかというと、そうでもなく、むしろ彼が俺TUEEEEEEする作品であったとすら言えます。

 

繰り返しますが、原作を読んでいないため、そこに登場するシーンまでは分かりません。

プログレッシブではかなり戦闘やMMO要素も描かれているそうですね。

 

緊張感がない

 そうかなぁ…?

全体的にあると思うんですけど。

 

特にSAO1期1クール、つまり「アインクラッド編」は、十分に緊張感のある仕上がりになっています

 

理由を3つ述べましょう。

 

それは、

●プレイヤーの命が数値化されているから

 

 

●アスナとキリトの恋愛があったから

 

 

●等身大の人間を描いているから

 

です。

 

プレイヤーの命が数値化されているから

 

MMOやRPGゲームにおいて、自分の命(仮想の)はHP(ヒットポイント)で表されます。

 

普通のゲームであれば、プレイヤー達は、デスペナルティなどを恐れて、なるべく0にならないよう努力します。

 

しかし、予想外にボスが強かったりすると、HPはいとも簡単にゼロまで下がります。

 

普通のアニメであれば、人が死ぬ時、「なんで死んじゃったの?」とツッコミを入れたくなるような死に方がよくあります。

 

しかし、「ソードアート・オンライン」では、HPという数値化されたものが命そのものとなっている為、完全な客観性とリアリティを持って死が捉えられます

 

 

これこそ、SAO全体が緊張感を醸し出す要因の1つであることは間違いありません。

 

アスナとキリトの恋愛があったから

 

上述したように、お互いが本気で守り合いたいと思っている関係性というのは、とても強力です。

 

プレイヤー同士の友情、絆のみで作品が成立するのならば、それは軽すぎるでしょう。

 

「アインクラッド編」のオープニング、「crossing field」にはこんな一節が登場します。

 

“I wanna always be with you. I’ll give you everything I have.” (LiSA「crossing field」より)

 

これを聞いた時、鳥肌が立ちましたね。

まさにアスナとキリトの関係を表した一節です。

 

やはりこの設定があったからこそ、「人が死ぬ」ことへの恐怖が倍増されました。

 

そして、それもまた緊張感に繋がっていたのです。

 

確かにストーリーを知っていれば、あまり緊張感を持って見れないかもしれませんが、初見であれば特に、「次は誰が死ぬんだ、アスナか?」みたいなことを考えながら観ている人も少なくはなかったのでは?

 

等身大の人間を描いているから

 

SAOというデスゲームに囚われたのは、全員が一般人です。

 

他のバトルアニメである特殊能力のようなものは、今作には一切登場しません。

 

あくまでもキリト達は、「被害者」として扱われるべきなんです。

 

主人公ゆえの異常なステータス的強さは目を瞑ってあげてほしいものです。別に根拠のない強さじゃないんですから

 

SAOプレイヤーがただの一般人でしかないことは、キリトの言葉によって強調されています。

 

特に14話の「これはデュエルじゃない、単純な殺し合いだ。」という言葉に全てが集約されていました。

 

彼らはゲームで無双をしていたのではなく、「命のやり取り」をしていたことを再認識させるセリフです。

 

私たちと同じ、「等身大の人間」。

 

彼らをそう見てあげることはできないでしょうか。

 

最後に

 

アインクラッド編以降も命のやり取りという点ではユウキのエピソードなどで行われており、緊張感とはまた別の良さがあると思います。

 

 

加えて「アリシゼーション編」は、第2クールで化けるという噂もちらほら聞くので、アリシもなんだかんだ見ます。(笑)

アリシ1期も面白かったですけどね!

 

ALO以降も「VR」という技術分野を盛り上げる一翼を担っている作品であることは誰の目にも明らかです。劇場版も話題になりましたしね。

でも、やっぱり

 

 

アインクラッド編は至高

 

 

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