娯楽に浸り過ぎるのは良いことなのか?そして、目標というテーマとの関連性

こんにちは!

やっと猛暑の時期も過ぎましたね、私は大学の夏期休暇中なので家に居る時間が比較的長いのですが、最近は窓を開けて過ごせるので快適です。

そんな私が、慌ただしく勉強と部活をしていた中学、高校時代から一変して暇な時間が多く、時間に縛られない日々を過ごしていて思うことがあります。それは、「娯楽(ゲーム、テレビなど)に浸り過ぎるのは良いことなのか?」ということです。

この記事では、なぜこんな疑問に至ったのか?そして、私なりのそれに対する意見を述べたいと思います。

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①なぜ筆者はそんなことを考えるのか。

おそらくこれを読んだ皆さんは、「なんでそんなこと考える余裕があるんだよ」と思うかもしれません。ここでは、その理由を説明していきます。

私は、中学、高校時代は運動系の部活動に所属していたため、それなりに慌ただしい日々を送っていました。さらに元々真面目な性格のため、先生に言われた宿題、課題もきちんとこなしていました。遊びと言えば、学校の友達とご飯に行ったり、カラオケに行ったり、部活動の年一回の旅行に行くこと、そしてスマホゲームやアニメ、映画鑑賞でした。このように書くと、「結構遊んでるじゃねーかお前」と思われるかもしれません。しかし、僕の中高生生活の中でこれら娯楽の占める割合はそれほど高くありませんでした。なぜでしょうか?勉強、部活それぞれにやりがいを感じていたからです。だから、娯楽に浸って現実から離れたいと思うことは、一時的にはあっても、それが続いて自堕落な生活を送ることはありませんでした。

そんな私が、大学生になりました。前期(4月~8月)までは、大学の授業があり、アルバイトもあり、新しく出来た友達とも遊びに行ったりと、中高生時代に比べて圧倒的な時間的余裕を感じながらも充実したキャンパスライフを送っていました。そして夏期休暇へ突入、アルバイト先の夏期講習や友人とのお出かけもあったりと、完全に外に出ないわけではありませんが、自宅に引きこもる時間が圧倒的に長くなりました。すると、ランキング上位にあるアニメを一気見したり、TSUTAYAに足繁く通い、SF映画をとにかく借りて見るというように私の生活が変貌していきました。娯楽に浸る間、私は幸福を感じました。しかし、作品が終わると一種の虚無感が私を襲います。(私は勝手に「エンディング症候群」と名付けていますw)例えばバイトがない日が三日続いたりすると、たくさんのアニメ、ドラマ、映画を見ます。するとどうなるか想像出来ますか?私という人間を自分自身が見失ってしまうのです。言い換えれば自分自身が壊れていくということです。 社会からの疎外感といったものですかね。これは、映像の中の主人公やヒロインは成長するが、自分自身は全く成長していないことが要因だと思います。

 

②クズライフからの離脱と、娯楽に浸ることについての意見

しかし、そんな状況は長くは続きませんでした。その理由は、長期的な目標が出来たからです。其の目標を達成するために、努力するべきことが見えてきたのです。そして現在はその目標に向けて一歩、また一歩と歩み始めています。もちろんアニメや映画を完全に絶ったということではありません。それが生活に占める割合が減ったということです。

娯楽に浸り過ぎるのは良くない、これは万人が共通して持つ認識に近いのかもしれません、しかし、私は、適度な娯楽は、その人の人格形成にも寄与するため、必要なものであると考えます。これは、自分の目標を持つことの大切さというテーマにもつながるのかもしれません。明確な目標を持っている人は、まっすぐです。ひたむきに努力します。目標がないから、人は自分を受け入れてくれる場所、つまり娯楽に浸り過ぎてしまうのではないでしょうか。

私なりの意見を述べるならば、「娯楽は必要なものである、しかしそれに浸って現実から目を背けてしまうのは良くない」ということになります。

 

 

もしこの記事を読んだあなたが、娯楽に浸り過ぎて社会からの疎外感を感じているのならば、「自分の目標」を見つけてみると良いかもしれません 。 

 

 

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