「天気の子」を映画館で観た感想と考察!新海誠の最先端。

 

こんにちは!

 

公開前から各方面で話題になっていた新海誠の最新作「天気の子」。

 

私もしっかり映画館で観てきたので、その感想を書きたいと思います!!

(実は観たのがこの記事を書く一ヶ月前なので、少し記憶が薄れた状態ですがご心配なくw)

 

 

ネタバレが混ざっているため、未視聴の方はブラウザバックをお願いします!

 

kapiokayakku.hatenablog.com

 

 

 

【目次】

 

 

 

評価と純粋な感想

評価:★★★★☆

私なりに5段階でこの作品に評価を付けてみました。

主観的評価なので反論などはご遠慮ください。

 

あれやこれやと考察する前に、まずは「天気の子」の純粋な感想を書いていきたいと思います!(純粋と書いておきながらだらだら書いてしまうことを先に断言しておきます(笑))

 

この映画、素晴らしい作品でした!エンターテイメント性、芸術性、ストーリー性が上手く融合していて、私も含め本当に万人受けする作品だと思います!

 

友人や先輩も「面白かった!」と言っていました。

 

まず、音楽がRADWIMPS担当ということでしたが、「君の名は。」に続き、今回も素晴らしかったです。

 

終盤の、警官をぶっ倒してビルを駆け上がるシーンで使われた「愛にできることはまだあるかい」は、流れるタイミングとも相まってグッとくるものがありましたね!!

大丈夫」も、「スパークル」と同列の私的お気に入りサントラです。

ただ、「何でそこでその音楽??」っていうシーンは所々ありました。

 

 

そして新海誠お得意の風景描写、これには「君の名は。」以来の感銘を受けました。

 

ノスタルジックな画のタッチと、東京のリアルな都市描写は本当に相性がいいですね。

新海作品初の、花火のシーンも息をのむほどの出来でした!

 

最近の新海作品はよく作画力が取り上げて注目されますが、この画は後生に残すべき素晴らしい芸術だと思います!

 

 

ストーリーに関しては、1ヶ月以上たった今なので賛否両論出ていますが、私は普通に楽しめました。

確かに、「君の名は。」がドンピシャだった人は、少し物足りないかもしれませんね…

 

「君の名は。」で、糸守町に足を運んだ瀧が、糸守町が消滅している現実を目の当たりにしたシーンは、誰もが衝撃を受けたことでしょう。

同じ時間平面に生きていると思い込んでいた瀧と三葉ですが、現実は全然違ったのです。

 

「天気の子」は、そのような、設定で観る人を虜にするような物語ではないと私は感じました。

過去作品の、「秒速5センチメートル」では、「主人公の四半世紀の恋愛」がテーマでした。

また「君の名は。」は、「出会うはずのない二人の出会い」がテーマとなっています。

 

では、「天気の子」のテーマは何なのでしょうか??

 

私なりにテーマタイトルを付けるとしたら、「選択の代償」です。

 

ヒロインの陽菜は、天気を維持?する「人柱」という存在であるため、雲の上に召されることを運命づけられています。

 

しかし、主人公の帆高は、一度は陽菜を失いながらも最終的に彼女を助けるという選択をし、運命に抗いました。

 

ですが、その代償として雨は再び永続的に降り続けるようになり、東京の水没という結果を生んでしまいました。

この選択をしたことで東京の住人は大迷惑を被ることになります。死者も出たのではないでしょうか。(この点については劇中で明かされていませんが)

 

そこまでの代償を払ってでも陽菜を助けたいという帆高の真っ直ぐな感情も、この作品の隠れた見どころだと思います。

 

アニメ「シュタインズ・ゲート」も同じようなテーマでしたが、「天気の子」は、あちらほど強調してそのテーマを前面に出さなかったため、物語の雰囲気が暗くならず、娯楽映画として見ることができたのかなと思います。

 

ちなみに、この作品の評価を星4としたのは、ストーリーにおけるインパクトという観点で、少し物足りなさを感じたためです。(ただ、私の中での総合評価星4はかなり高い方です。)

 

 

「須賀圭介」という人物のメッセージ性

天気の子」において、過去作品と異なる点を挙げるとすれば「須賀圭介」の登場でしょう。

 

これまでの新海作品では、中年以降の人物がストーリーに大きく関わることはありませんでした。

 

今回の作品では、身よりもなく上京してきた帆高を支える頼もしい存在として、須賀が登場します。

 

初めは、場所と食事を提供して見守るだけのポジションだと思っていたのですが、中盤以降も積極的に帆高と関わりを持ち続けます。新海誠にしてはほんと珍しいですよね~

 

 

そして終盤の、鳥居があるビルでのシーン、初めはさすがの須賀も諭すような口調で帆高を説得しようと試みますが、帆高はなかなか折れません。ここで既に屋上へ上がることの彼にとっての重要性には気づき始めていたでしょう。

 

その後の高井を初めとする警官たちと銃を構えるシーン、ここで須賀魂が爆発し、

 

邪魔をするなぁぁぁぁぁ!!!(うろ覚えです。)

 

と、警官を足止めしてくれます。

 

どこまで良いオッサンなんだよ!!

 

そうなんです、察するに新海誠が見せたかったのは、この純粋すぎる須賀の人の良さです。

 

最近のティーネイジャーや若い世代は、どこか大人に対して不信感を持っているように感じます。自分の損得ばかり考え不正に走る政治家が増えていることもその原因でしょう。

やりたいことに対してゴーサインを出してくれない親の姿に覚えがある方も居ると思います。

 

ですが、須賀はそのようなステレオタイプ化してしまった大人像とは正反対です。

 

これは私の想像ですが、新海誠は「須賀圭介」という人物を通じて、「やりたいことは若いうちにやれ!必ず応援してくれる大人がいるはずだ!」みたいなことを伝えたかったのではないでしょうか。

 

ラストシーンに見られる変化

新海作品のファンの方々は既にお気づきだと思いますが、「天気の子」は、主人公とヒロインが出会うことができたという点でかなりハッピーエンド寄りです。

 

前作以降、彼の作品のエンディングに変化が出てきています。

君の名は。」では、再会直後のシーンを描くことなく想像にお任せという締め方をしていましたが、今作では、なんと二人が再会した後に会話します!

 

これは意外と衝撃を受けました。例えば、「秒速5センチメートル」では、主人公が一瞬ヒロインに気づきますが、二人の間を通り抜けた電車に阻まれ、再会せずに物語が終わります。

この終わり方は独特で、読み終えた後、もしくは見終えた後、なんとも言えない気持ちにさせられていました。空しさみたいなものでしょうか。

 

ですが前作、今作は違います。2人はちゃんと巡り会い、ハッピーエンドという形で終わるようになりました。

 

この変化は、作品の大衆受けを狙うなら必要なものだったと思います。

 

ここまで作品が世間的に注目され、幅広い層が見に来る映画となってしまった以上、「8割が消化不良で2割がドツボにはまる」より、「8割がスッキリ映画館を退出し2割が不満を覚える」の方が、全体としての評価は上がるはずです。

 

あまり注目されていなかった時代は「やりたいようにやる」のが新海誠でしたが、これからは「大衆受け」を前提とした新海作品が増えることでしょう。

 

最後に

ここまで、偉そうに感想やら考察やらを書いてきましたが、私は大衆エンターテイメントとして純粋にこの作品を楽しめました!

 

これから新海誠がどんなテイストの作品を出してくるのか、楽しみです!

 

 

 

以上、「「天気の子」を映画館で観た感想と考察!新海誠の最先端。」でした!

 

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